doba_anamaki's tumblr
crookedlane:

【画像】ご主人様はなぜ箱が好きなのか : 〓 ねこメモ 〓
しかし日本だけは、この話が当てはまらない。今でも奇妙な機種が多く、またそれらがお互いに微妙に違っている。世界のそのほかの部分は、Samsungに右へ倣えしているから、どこでもほぼ同じだ
<わたしのこころは べんじょのぞうり/きたないあしで ふんでゆく/おまえもおなじ おりぐらし/いきてかえれる あてもなく/どんなきもちで かようのか/おまえのこころは いたくはないか>

初台ドアーズでの『ファイト!』
アナム&マキに引き込まれるきっかけになった曲。生の『ファイト!』には魂を揺さぶられました。
色々なアーティストにカバーされている曲ですが、彼女達のカバーは一味違います。


下北沢440での『心に花をたずさえて』
河島アナムが父である故河島英五の事を歌った曲。会場の感動までもが心に響いて来るような曲でした。


尼崎ブラントンでの『泣きっ面に蜂』
ライブでは曲を演じるように歌う河島アナム。役に入りきる女優のようなたたずまいで、自身の感情は
表に出さないイメージがありましたが、この日は涙で歌えなかった曲。


心斎橋clubジャングルでの『ひとつだけ』
ある意味アナム&マキらしくない曲で大好きな曲。河島アナムがピアノで弾き語るシーンは
今も目に焼きついており、小さなライブハウスではなく、大ホールでたくさんの観客に見て欲しいと
思える程の弾き語りでした。

四国中央での『境界線のメッセージ』
本夛マキが人と人との境界線について歌った曲。僕には河島アナムとの境界線を歌っているように
聞こえて、複雑な心境にもなった曲でした。

http://etctoetc.blog13.fc2.com/blog-entry-28.html

metcさんのブログ 

 

小林:怪しいですよ!憲法が厳格に権力者を縛り、簡単に乗り越えられない硬性憲法だから、権力者は不自由です。その不自由を感じている権力者側から、「この縛りを取り除いてくれ」という提案が、今来ているわけですよ。

主権者国民大衆の権力を条件付きで扱っている権力者達が、この条件を取り払ってくれと言っているのは、主権者国民から自由になりたいから。これは反逆ですよ。こんなことは、改憲論者の私としてもアンフェアだと怒っているわけです。

戦後日本は、昭和天皇にも一般国民にもあった戦争責任をA級戦犯にかぶせて復興を図った。そのディールで復興を遂げて経済大国に復活したいまになって、一部の政治家のように「あの戦争は自衛戦争だった、日本は悪くない」と言うのは、レストランで出された食事を平らげ勘定を済ませた後で、「自分が食べたかった料理じゃなかった(金を返せ)」と言うようなものだ。占領当時にそれを言っていたら、いまの日本はなかった。当時そう思ったからこそ、ディールしたのが我々の先代ではないか。疚しいのは当たり前だが、疚しさから逃れるために、いまさら「日本は悪くなかった」と言うのは卑怯だ。

『朝がまた来る』
作詞・作曲:濱埜宏哉
監督:松本卓也

※踊ってみよう!
http://www.youtube.com/watch?v=iTZeM4
振付:まるひめ

野狐禅解散から4年、ハマノヒロチカ待望のファーストアルバム遂に完成!
ハマノヒロチカ「最後の青春」
2013.6.12 発売決定!

シングル「朝がまた来る」もライブ会場とウェブ通販限定で発売中!

ハマノヒロチカウェブサイト
http://hamanohirochika.jimdo.com/
シネマ健康会
http://www.cineken.com/

猪瀬知事は「他都市との比較を聞かれたから答えた。答えなければ良かった。」というようなことを言っているが、そのような質問に対しては、「他の立候補都市もそれぞれ開催地に相応しい都市だと思うが、我々は東京での五輪開催が素晴らしい大会となり、世界中の人々に喜んで頂けるものと確信している。」というのが、オリンピックの基本理念をわきまえた見識ある答え方であろう。

いずれにしても、この「維新前後における朝敵合祀」ということが1つ、靖国を「正常化」する上で必要なステップではないかと思います。その先に、例えば幸徳事件や甘粕事件の受難者、治安維持法などの違憲性のある法律の犠牲となった人々なども、「明治から昭和の国難の中での受難者」として合祀ができないものかと思います。

 その延長上に、戦災における民間人犠牲、つまり東京大空襲をはじめとする多くの犠牲者、そして広島、長崎の犠牲者が合祀され、更にその延長で清国からロシア、アメリカ、韓国、中国、英国、東南アジアなど「日本が絡んだ戦争での受難者」の全てが合祀される、更には戦前の反日運動や独立運動などでの受難者も合祀されるようなところまで、10年かかっても、20年かかっても持っていくことはできないかと思います。

 そうでもしなければ、近隣諸国との友好は勿論、日本国内の対立、つまり「戦没者の魂が靖国にいる」という立場と、「靖国的な考え方は否定すべき」という世界観が痛々しく対立している現状を乗り越えていくこともできないでしょう。そもそも慰霊のための宗教施設が政治の道具にされ、こともあろうに新たな国内外の対立エネルギーの発火点になっているというのは、異常な事態であると思います。

日米関係まで揺らぐ危険、靖国問題に落とし所はあるのか?

冷泉彰彦

プリンストン発 新潮流アメリカ - ニューズウィーク日本語版